カテゴリー「本・読書」の8件の記事

2017年7月13日 (木)

古本・・・作家の家

古本屋で見つけた本・・・作家の家・・・400円なり!

Sakuhon6

小説家や画家、随筆家や建築家の自宅の写真集です。

Sakuhon1

建築家の清家清の「私たちの家」も載っています。

Sakuhon3

Sakuhon4

若くで亡くなった立原道造の自宅も・・・

他、山口瞳氏、井上靖氏等々・・・

Sakuhon5

Sakuhon2_2

その他古本屋で見つけた新書です。
108円

Hon771

時間があれば立ち寄る事にしています。

「もやい」は日本ブログ村ランキングに参加しています。
一日一度はここをクリックして下さいネ。

にほんブログ村 住まいブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年6月11日 (日)

手に入れた古本・・・20世紀の建築・・・

時間の余裕があれば立ち寄る古本屋!

今回はブックオフ

見つけた!安い!ラッキー!

買いました!960円

Hon622

・・・20世紀の建築・・・

世界の代表的な建築が掲載されています。

Hon621
ルイスバラガンの住宅

・・・英語ですが・・・
見応えがあります!

「もやい」は日本ブログ村ランキングに参加しています。
一日一度はここをクリックして下さいネ。

にほんブログ村 住まいブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2017年3月 7日 (火)

本・雑誌の拾い読み

新刊・中古本・新刊雑誌からの拾い読みです。

Casa1
Casaがアンテークの通販を始めた

Casa2
作業で・・・欲しいと思った品物

Hon1151
中古本・・・やはり気になるのは「太陽」より「月」

Hon1312
内田さんの本だったので・・・

Hon1311

パラパラと・・・気になる記事を・・・

Tutiua1

婦人雑誌の記事

Tutiua2
1950年代からのモダニズム建築の名作住宅
建築家土浦亀城の家
・・・当時のままで住んでおられます。

Tutiua3

下も婦人雑誌から
日本刺繍

Sisyu2
屏風に見えるのは・・・刺繍の糸
絵になるな!

Sisyu1

番外編

Nisi1
「和田山の数寄屋」の先生が・・・朝来市の広報に紹介された記事

「もやい」は日本ブログ村ランキングに参加しています。
一日一度はここをクリックして下さいネ。

にほんブログ村 住まいブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2016年2月 4日 (木)

読書・・・日本人と日本文化・・・

昨年3月に調査に行った、群馬県渋川市の古民家

群馬県赤城山榛名山に囲まれた渋川市

Mizu383

そこの古民家・・・ドナルド・キーン氏にコロンビア大学で日本文化を教えた角田柳作氏の生家の調査

Gunko381

Gunko3814

明治の立派な古民家でした。

改修が進み、夏に完成します。

10月に、日本文学研究者「ドナルド・キーン」さんが来られます。
お会いする予定です。

そこで、以前に読んだ・・・「司馬遼太郎とドナルド・キーン氏」の対談集「日本人と日本文化」を再読!

Hon222

Hon221

本の抜粋から

司馬: 日本文化というのは、平安時代からスタートさせるのは常識ですけれど、実際いま我々に繋がている生活文化を中心に、建築とか、ものの考え方とかをみてみると、起源はたいてい室町からですね。お茶、お花がそうですし、能狂言もそうでしょう。それから鑑賞に堪えうる舞踏が出来上がっていくのもこの時代、室町期からですし、物事を記録するくせが、庶民や無学な侍達の間でさえ身につくようになったのも室町末期くらいかららしい。・・・やっぱり京都を中心に出来上がったそういう言葉の芸能が広まっていくにつれてではないでしょうか?

司馬: 室町時代というのは、確かに足利義満(1358~1408)の北山時代よりもむしろ義政の東山時代をもって完成すると思う。・・・・・・この時代、田地を持っていない百姓(畑を持っていても駄目)米作地を持っていないものは馬鹿にされた。畑百姓は無論米百姓より階級が下で、その畑さえ持っていない者は河原に住んでいた。そういう人たちが庭づくりをしたり、芸をしたり、あるいは商人になって行きます。そういう人たちを義政はお座敷に上げている。「一視同仁」という事をしきりにいう。・・・その事は義政にとっては生きた血の通った実感ではなくて、禅に凝っていたために、それが観念になっていた。  

革命としての応仁の乱    

キーン: 日本人の趣味からいうと、金よりも銀の方があっているような気がする。金のような温かい黄色い色より、銀のような寂しい色のほうが日本的じゃないかと思う。あとの日本人にとって金閣寺よりも銀閣寺のほうが親しみやすかったのではないだろうか。東山文化の墨絵、お花、お茶の湯というものは、同じ銀の世界として受け取られたと思う。日本にはあらゆる趣味があるにちがいないのですが、もしも日本的な趣味を一つだけに絞ろうとしたら、東山文化じゃないかと思う。

司馬  私もそう思う。

キーン 応仁の乱のおかげで、公家たちは地方にいってしまう。そこで地方文化が花開く。司馬  それが日本人の歴史を一変させた、と言う感じを受けることがある。     その後に出てくる文化は、大体京都で創られた新しい文化意識、例えば床の間を造るとか、杉の木の建築をつくるとかいろいろなものが普及していった。 

義満の金の文化に対する義政の銀の文化  金の復活について  

司馬:  もう一ぺん日本は膨張する。その時代は具体的に言ったら、織田、豊臣、徳川初期、その時代が日本文化の第二の青春時代で、「洛中洛外図屏風」で象徴されるのは、日本文化の青春みたいな感じです。東山時代というしぶい銀の時代があるのですが、そのしぶさも良い。この頃の金屏風なんかは大きな松ノ木を画でしょう。説は色々ありますが、みんな大振りになって豪華絢爛ですね。日本人の趣味における金の復活だとおもう。世界に対して窓を閉ざすと「日本的」なものが生まれる。となると銀が復活する。日本文化史の中でこのことは繰り返すようですね。

日本的な美 について

キーン: なにがいったい「日本的」であるか。日本独自のものはなにか。これは中々いえませんね。  例えば陶器のなかで何が日本的かと聞かれた場合、私の意見は、大方の人と同じ様な意見になります。柿右衛門のようなものではなくて、志野とか、織部とか、そういうものが一番日本的であると思う。ある意味では非常に粗末にみえるようなものに価値観を見出す。

司馬:  千利休は人がつまらないという百姓茶碗を取り上げてこれは千金の価だといって美の発見を します。利休という人は絵も描いていないし、建築もつくっていない。要するに芸術として創造はしていないが、美を発見していくと言う事では芸術家だと思う。金と漆で接ぐとか、割れたものを接いで喜ぶというものは何処にも無いでしょうね。

司馬:  仏像に最初は金を使っていたのが剥げて地を見せている事について、おもしろさとか美しさ   を感じる事がある。中国人、朝鮮人は必ず塗りなおす。日光東照宮のようなほうが喜ばれる。

というところです。
侘び・寂びを含めて室町時代・東山文化をもう一度学ぼうというきっかけになった本でした。



「もやい」は日本ブログ村ランキングに参加しています。
一日一度はここをクリックして下さいネ。

にほんブログ村 住まいブログへ
にほんブログ村

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2009年2月24日 (火)

直木賞受賞作「利休にたずねよ」を読んで

久々に最近の話題作を読んだ。

その本は「利休にたずねよ」山本兼一 第140回直木賞受賞作だ。

物語は1591年 228日 利休の切腹当日から書き出しは始まる。

さて、どう展開していくのかと思いきや、次の話は切腹前日に戻る、さてその次は切腹15日前にと時を遡りながら利休と秀吉の確執や、
有名な大徳寺の山門の利休像の騒動、徳川家康と秀吉との駆け引き、
黄金の茶室、山崎の待庵と時を遡りながら物語は進む。

うーん!どこかで出会った構成?????と考えてみたら、

映画「スターウォーズ」の構成と一緒ではないか。
最初に出来事があり、何故それがおこったのが、理解するのには次回作、次々回作と見ていかなければ分らない構成である。

この「利休にたずねよ」もまさに同じ構成である。

それぞれの出来事の場面で、登場する歴史上の人物の会話は「さもありなん!」という内容で、

実に歴史考証や茶室の建築や茶道、茶道具、花、侘び寂びについての解釈は正確になされていて読み応えがある。

・・・最初に切腹ありきで・・・

そうかこんなことがあったのか?

だから秀吉は切腹を命じたのか?
利休はこんな風に考えていたのかも知れない?
茶の道具に関してはこのように考えているのか?

道具づくりの長次郎との やり取り、

しつらえ、一期一会の心、
ものづくりの考え方、その過程、美の追求

・・・・・と興味は尽きない物語です。

・・・・・・信長、室町時代からの同朋衆、武野紹鴎、狩野永徳と興味深い人物出来事が次から次へと展開して、利休が19歳まで遡り・・・そしてクライマックスに!   

現在、本屋さんに平積みされている本なので物語の話はここまででやめておきます。

読んでお楽しみ下さい。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2009年2月17日 (火)

「建築」はほほえむ 松山巌 を読む

この本は建築に関わっている人だけではなく、「建築」を知るうえでの入門書的な存在です。

この本で「未完の小さな場所」という言葉が出てきます。                            
「未完の小さな場所」とは、建築をつかう人たち、まちに生きる人たちが、気持ちの良い場所、好きだと思う場所であり、建築や街を作る人たちが本当に望んでいる事は、建築や街の中に喜びを共有する場を発見してくれる事で、その共有する場こそ「未完の小さな場所」と定義している。


建築とは未完のいろいろな場の集まりであり、未完とは可能性だという。未完である建物は希望という未来の一滴を注ぎ込み建築となる。未来の為につくられた、未完の小さな場こそ、建築に必要なエキスの一滴だと。それはいつか未来の使う人、つくる人、あなたたちに再発見される事を望んでいる。なんたって建築を使う時間は長いのだと。


「建物」とは、ある場所に建っている物のこと  
「建築」とはある場所にどのような建物を建て、どのように築き、どのような場所するかを考える事と定義し、「建築」を考える事は建物とまわりの場所との関係を考えるということが大事だという。


この視点に立ってもう一度私たちの周りの「建築」を考えてみる良い機会です。

著者は何の変哲のない場所で時間を遡ってみると全てがつながっている事や、気持ちの良い場所、好きな場所は難しく考えるのではなく、五感で感じる事の大切さを訴えている。

街のなかで子どもたちの遊び場所が減少してきている事実は、大人たちにとってもじつは、街歩きをする場所を失い、街歩きを楽しむ時間的な余裕を失ってきている事と重なっているのではないだろうかとも指摘する。


子ども達は公園や遊園地のような与えられた場所ではなく、何の変哲もないところを、自らの遊び場に帰ることが出来た。子どもたちの遊ぶ声が響く、小さな場所への関心を取り戻すべきである。


あなたの記憶に残る建物とは、街に立ち並ぶ建物全体ではなく、建物の小さな部分ではないか。そして小さな施設には生きた現場があり、路傍や田畑の小さな小屋は土地の人々にとってどうしても必要であり、強い風で吹き飛んでもすぐに作り直される。この小屋はその土地に生き続けている小さなつながり、小さなプログラムだ。


ここで働く人のために、小さな幸福を実現するための生きたプログラムの証。


土地の人とのつながりを考えた時に、小さな商店、小さな工場、小さな病院、小さな図書館、小さな公園が消えてしまった時に、その土地では、大きな変化が人々のつながりを変える様な事態が生じている。

このように考えると、いくつもの気もちの良い場所を発見し、その秩序を見出すことこそが、常に立ち戻らなければならない私たち「建築」をするものの原点であり、秩序は一つでもない。


現在の「建築」は、表層ばかり取り澄ましていて、それを使うわたし達の方にほほえんでくれるものは大変少ないと思います。


良く建築家は「建築の力」を口にしますが、確かに「力」を感じる建築は存在します。


社会に対しての「力」、地域に対しての「力」、文化に対しての「力」ですが、決して「資本の力をかりた建築の傲慢な力」ではないと思います。


そんな私たち生活者にとって優しい「建築」が地域の中で「もっともっと」増えれば思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2009年2月14日 (土)

赤瀬川源平 「千利休」 無言の前衛 を読む:読書感想:2

赤瀬川源平さんは魅力ある人だと思う。
自宅は東大の建築史学者であり、縄文建築団を率いる建築家でもある藤森照信さん設計の「ニラハウス」である。

屋根の上に「ニラ」を植えた可愛い家だ。白い小さな花が咲いた時は中々可愛い。
赤瀬川さんは前衛芸術家としても知られていています。事件にすれば「偽0円札」を印刷して話題をまいた方だ。・・・0円という金額が何ともいえない社会風刺であり、当時は拍手喝さいものだった・・・

さてその赤瀬川さんに「千利休」の映画を造りたいと依頼をしたのが「草月流」家元の勅使河原宏氏。
草月流の勅使河原宏さんの「青竹」を使ったゲートや滝をイメージした作品には感動したことを覚えています。

赤瀬川さんが原稿を書いていく上での「千利休」について考えたエピソードを紹介している本で、独特の解釈もあり本当に楽しい本だ。
赤瀬川さんは歴史認識をするうえで「マンガ日本の歴史」から学び始めた事や、豊臣秀吉との確執や切腹を命じられてから「利休」が堺でで何を考えて過ごしたかという項は実に興味深いし、魅力あふれる内容に脚本されている。(本と実際の映画では、利休の最後の茶室をつくる内容は違いますが・・・)

この本を読んだ機会に、あらためて、利休が作った言われる「京都山崎の待庵」の見学に行き、大徳寺の山門にも足を運び、あらためて「茶室や侘び寂び」について考えたものでした。それから興味は、日本文化に大きな影響を与えた足利3代将軍・義政の室町時代の東山文化へと本の幅が広がっていきました。

この本を読んで、映画を見てみたいと思い、知り合いや色々な人に聞き、最終的には「草月流」に電話をかけて、版権が「松竹」にあることを知って、ビデオをAmazonで手に入れて、早速見たのを覚えています。
今でも大事に本棚の一角に鎮座しています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|

2009年2月12日 (木)

読書感想 ファスト風土化する日本 三浦展

現在社会を考えさせられる一冊です。

ファスト風土化は「ファストフード」の著者の造語であり、
何気なく慣らされている状況に対する社会科学の立場から実証的に分析がなされているので現在の状況を的確に私に認識させてくれる。

透明性・匿名性・流動性というキーワードのもとに日本中どこに行っても同じような郊外風景が見られる中、「ジャスコ」を代表的な指標として取り上げる事で、日常のシーンで「ジャスコ」を見る事により、私にこの地域は今どのような状態になっているのだろうかという問いかけを、してくれたように思う。

「ジャスコ」、「コンビニ」があるところ、それは「資本の論理」で如何に効率よく資本を増殖させるかであり、それが「私達」は便利がよいということで望んだ結果であり、「人」の存在は後ろに置かれる。例えば「コンビニ」にいくと便利だなと思うが、与えられた物の中での自由であり「小さな自由大きな不自由」、選択肢がどんどん狭められている。

この事に気づいていないのではないかと指摘もされている。
それにより地域や地方は活気をなくし、更に空洞化して、「透明性」「匿名性」という言葉がぴったりの「場所」を生み出してきていると考える。無意識に慣らされた風景ではなくて「もう一度行きたい場所・私を感じる場所」について考えていく必要があると考える。

「我々」「私たち」ではなく「私」の集合体が現状で「我々」というのが成り立つのが市民社会である、「私」の集合体には共同体がなく、人は共感を求めない。その意識がなければ出来ないのが「パブリックデザイン」ではなかろうか。

「社会とのつながり」が希薄になりつつあり「個」の要望に終始しがちな現実の活動において「地に足をつける場所」を考えたいと思う。

又、そういう意味では、村上龍の「限りなく透明に近いブルー」という本もまさにその事を鋭い切り口で切り取っている本だと思う。

ある建築家は、その様な風景を「意気地のない風景」であり、それを構成しているのが、「意気地のない建築」という表現をしているのは的を得ているように思う。

| | コメント (0) | トラックバック (0)
|